会長の部屋

1月26日会長の時間「多良岳滑落事故」

2024年1月29日

1月26日会長の時間「多良岳滑落事故」

皆様こんにちは。今日は暖かくなりましたが、最近寒い日が続きました。特に火曜日は雪が降って大変でした。

 

今日の私の話も寒い話です。

 

13年前の2011年1月9日、私は多良岳の尾根から滑落して多くの方に御迷惑をおかけしてしまいました。あの東北大震災の2ヶ月前のことです。多良岳に登頂後、前岳に行く登山道で滑落しました。過去にもここから滑落して亡くなった方がいる難所です。12時40分でした。

 

この時山の深いところでは60センチくらいの雪が積もっていて、歩いていた尾根にも10センチほどの雪が積もっていました。私は山クラブの7人ほどの仲間と歩いていました。途中石の上に雪が積もっていると思っていたら、その下にはなにもなく、踏み抜いてバランスを崩してしまいました。

 

体は急な斜面に倒れかかりました。初め近くの草をつかもうとしましたが、勢いがついていてつかみきれませんでした。頭を下に真っ逆さまに雪の斜面を滑り落ちていきました。後日ロープで下りた人によると、100メートル近くあったそうです。

 

途中岩に頭をぶつけたようで、意識不明になり谷底に投げ出されて目が覚めました。辺りは血だらけでした。そのときはじめて自分が滑落したことを知りました。山の仲間が、滑落した尾根から私の名前を読んで励ましてくれたり、崖(がけ)の途中まで下りて、様子を見に来てくれました。私も歩いて登山道に戻らねば、と思うのですが歩けませんでした。その後の診察で、大腿骨大転子骨折と診断されました。腿(もも)のつけ根のところが折れているわけです。歩けないわけです。

 

午後2時30分に山の仲間2人とその日に金泉寺にいた当番の人が駆けつけてくださいました。最初小屋の人を見たときには「助かった」と思い、ほっとして涙が出ました。山仲間の二人は上半身と下半身をさすってくれました。とにかく寒かったです。二人に抱えてもらい岩陰に移動しました。

 

その後小屋の人の案内で太良消防団の方々が来て下さいました。しかし私が歩けるとまちがった情報が伝わっており、聴診器しか持ってきていなかったので次のレスキュー隊に毛布とそりを持ってきてもらうよう要請してもらいました。

 

その後本格的な第1次レスキュー隊が午後8時に到着しました。もう辺りは真っ暗でした。鹿島から来てくださった総勢18人の方々でした。本当に心強かったです。場が急ににぎやかになりました。なにより毛布とエマ―ゼンシーシートを持ってきてもらい、体に巻いてもらったのがうれしかったです。おかげで温かくなりました。当時の気温は金泉寺でマイナス3度だったそうです。山はもっと寒かったと思います。そりにロープを付け8人で引っ張ってもらいました。

 

一度前岳にそりごと上り、暖をとるため枯れ木を燃やし休憩しました。消防隊の人たちが山で焚火をして暖をとっていました。ふだんはありえないことですが、それだけ寒かったわけです。

 

それから武雄から来てくださった第2次レスキュー隊と交代し、林道に下りて4WDの警察車両に乗せられました。その後山茶花高原で待つ救急車に乗せられ、西諫早病院に収容されました。もう翌日の朝でした。この滑落のことが新聞、テレビで報道され周りで知らない人はいないぐらいでした。本当にたくさんの方に助けられ、今私はこうやって生きています。

 

当時多くのロータリー会員の方にも見舞っていただきました。改めて御礼申し上げます。

 

その後このお返しをするために東北、熊本、朝倉のボランティアに行きました。能登にも行きたいと思います。ご静聴ありがとうございました。