会長の部屋
5月31日会長の時間「25年前の世界社会奉仕事業・ロシア」
5月31日会長の時間「25年前の世界社会奉仕事業・ロシア」
皆様こんにちは。今日は25年前の世界社会奉仕事業・ロシアについて話をさせていただきます。当時撮った写真のアルバムを回していただきますのでご覧ください。
1999年6月17日から21日の4泊5日でした。今年の世界社会奉仕事業もバンコクの孤児院を訪ねますので参考にさせていただこうと思い、実行委員長だった菅原さんに当時のエピソードを聞いてきました。会長は中道さん、幹事は原田さんでした。
どうしてロシアなのですか、とたずねたら、菅原さんが「シベリア抑留者の墓参りをどうしてもしたいという思い」と「シベリア鉄道に一度乗ってみたい」という思いが重なり、ロシアの訪問になったということです。
初日新潟ロータリークラブとの交歓会があり、その日のうちに新潟空港からウラジオストックに飛びました。ウラジオストックのホテルに着いたときには、もう暮れていました。長い道中でくたくたになりました。当時ロシアは8年前にソ連邦が崩壊しており、物価は日本の10分の1でした。路上に子連れの物乞いをする女性がいたのが印象的でした。
その日のうちにウラジオストック駅へ行き、ハバロフスクまで800キロをシベリア鉄道に乗りました。延々と白樺林が続いていたのを覚えています。
翌朝ハバロフスク駅に着き、孤児院を訪問しました。セレモニーの時、千ドルの小切手を渡すと、女性の園長先生が涙を流して喜ばれました。当時1ドル114円でしたから日本円で11万4千円になります。物価は日本の10分の1ですから、その千ドルの小切手には約110万円の価値があったわけです。当時ロシアは貧しく、孤児院の設備も整っていなかったのでしょう。子ども思いの園長先生は大喜びでした。子どもたちが劇を見せてくれ、心がなごみました。その日はハバロフスクロータリークラブとの交歓会もありました。
最後の日にシベリア抑留者の墓参りに行きました。お坊さんにお経を読んでもらい合掌しました。犬尾先生が線香を焚かれ、墓に日本から持って来た日本酒をかけられていたのを覚えています。
「友よ安らかに眠れ」と書かれた墓碑が二本立っていました。戦争が終わっても抑留され、祖国に帰れず、無念にも異国の地で一生を終えた人たちのことを思うとき、万感胸に迫るものがありました。
実りが多い、ロシアへの世界社会奉仕事業でした。9日後にはこの1年を締めくくるタイバンコクへの世界社会奉仕事業へ行ってまいります。意義深い事業にしたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。



